ちよみん公園

どーもす!ちよみんです! (どーもすはどーもと同意味です。)

「ただでもらう」は当たり前なんだ。

どーもす!ちよみんです!

 

 「ただ」は身の回りに溢れている

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「ただより高いものはない」とよくいうけど、それは本当でしょうか?でも、ことわざにあるほどでしょうから、そうなのかもしれないです。けどね、わしは「ただ」は身の回りに溢れていると思うんです。

 

わしで例えるなら、ただで

ご飯奢ってもらう。

メガネよくふいてくれる。

メイクしてもらう。

髪の毛きってもらう。

ただで外にでる。

ただで散歩する。

太陽の光を浴びる。

ただでブログで自分を発信してる。

スーパーにただで入る。

百貨店に売ってある健康グッズのお試しをただでやる。

バイト先でパンもらう。

バイト先で余ったエコバックもらう。

 昨日も、バイト先で私がタイムカードの磁気が弱くて磁気の調節申請みたいなのをわしでも書けるのに、「ただ」で先輩が書いてくれたり。

 

「ただ」ってほんと小さいことでいいんです。

小さい「ただ」がみなさんの回りにもあると思います。当たり前のように「ただ」はわしらの周りで行われ続けています。

 

 

 

 

お金は親友だと気づく。

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お金が存在するおかげで、私達つまり、わしらは「ただ」が素敵なもんだと気づけます。お金が存在するから、「ただ」がうまれました。お金は«何か»をするための手段だけど、お金に夢中になりがちなのは、お金は親友だから。親友は血の繋がってないだけの家族ですね。けど、お金に夢中になりすぎると、お金の奴隷になってるとか嫌な言われ方がありますよね。自由が一番と言われているご時世、お金の奴隷になるのも、お金と親友になるのもあなたの自由ですよね。

 

 

 

 

「夢をかなえるゾウ」

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 わしが今回の記事を作るきっかけになった本です。

色んなブログでも紹介されていたのでとても気になって手に入れたぜ!まだ途中までしか読んでませんが、教え(課題)の一つに「ただでもらう」があります。この課題をやった後の主人公は「ただでもらう」は難しかった、と言いました。その時、わしは誰かに「ただでもらう」が当たり前と思う自分がいたのに気づきました。なぜ、当たり前と思うのかをもう少し掘り下げてみると、わしの周りにゃ「ただ」で溢れていたからです。そう思った時、なんだか鳥肌が立ちました。

 

 

わしは、「自分が思っている以上にすごくもらい上手なのかもしれぬ!(💪(^q^💪)うほっ)」

物事の捉え方次第ですよね。太陽の光をただで受け取るとかそうです。笑  「ただ」って自由とすごく密接してる気がします。誰かに何かを与えるのはその人の「自由」で、それを受け取る人も「ただ」で受け取ったり、断ったりしますよね。お金が存在する限り「ただ」も存在します。

 

 

なので、わしはこれからも、笑顔で溢れる「ただ」を素直に受け取り、与えていきますね。

 

 

 

 

 

 

 わしのアニメ事情

CLANNAD afterstory17話まで見たぜよ。

15話で朋也と渚が来年の夏に3人で海にいこう、って約束してる時になんで渚の死亡フラグみたいな雰囲気だしてるんだよ。めっちゃわしまで不安なるやん。

そして16話、渚の陣痛が始まって苦しんでる姿に朋也が意識が遠のきそうなシーンでわしもはやく終われぇええええと思っていたら、赤ちゃんの泣き声がして朋也が汐(赤ちゃん)を抱き上げた時、やっどぉー産んだんだぁあああ、涙がでてきて、でもその後がもう涙が止まらなかった。

CLANNADの作者さんはひどい。わしを泣かして泣かしてどれだけ泣けばいいんだ。泣きたくなくても泣いてしまうんだ。その後の朋也と汐(うしお)が気になってすぐさま17話をみると、朋也は育児放棄…渚の両親がかわりに汐の面倒をみていた…

しかしだなぁ、5歳になった汐ちゃん、、、か、可愛すぎるぅうううううううううファーーーーー(///_///)

渚の面影バンバン残してるじゃねぇーかーーー可愛いいいい( ー̀дー́)وgood

 

 

 

 

 

 

 

お後がよろしいようで。