素直に親ふこう者になればいい。
どーもす!ちよみんです!
突然ですが、あなたは
親の希望を選んで損したことありますか?
親のせいにしたことありますか?
親はあなたになにを教えてくれましたか。
「世間は甘くない」「大人はつらい」「大学の4年間は人生の夏休み」「逃げるは負け犬」etc。
凝り固まった価値観を、想像でしかない恐怖なのか。
無機質なルールや曲がったプライドやら、変な絶望やら、我慢して生きる、犠牲的な人生なのか。
誰かのせいにして生きる人生なのか。
それとは逆に、
ありふれたものを素敵なものと捉える人生か。
好きなことで生きる人生か。
自分と人が素敵な毎日を送る人生か。
善し悪し何が起ころうとも受け入れて前に進んでく人生か。
自分は素晴らしい存在だとか、
人生の素晴らしさとか、
なんとかなる素晴らしさとか、
マイペースの素晴らしさとか。
親は私達より先に生まれました。
だけど、先に生まれたから正しいとは限らないですよね。幼い頃に私達は親は絶対的で無条件に信頼し、それが大人になった今では疑問が浮いては沈むの繰り返しをして、自分と向き合い初めてその疑問を解くのだと思いました。嫌な思い出や上手くいかないことって幼い頃のトラウマや親との出来事に原点があることが多いです。
そして、わしはね親のせいにして、親の前で【わしは今、あんたらのせいで苦しんですー不幸なんですー辛いんですー】アピールしてさらに自分を嫌になって苦しくなって頭がグルングルンして…
でも、時間が過ぎて自分と向き合っていくと、桃太郎が生まれた時みたいにパッカーンってきます。
実際、きました!!
もうね、これが言いたいんです!!
親に罪悪感をもたせようと努力してるヒマがあったら、親不孝になっちゃってよいぞーーー!!
自分の幸せだけ考えて生きてくだシェーーーー!!
(「°∀°)」シェーー!!!
あ゙ぁ゙ぁ゙あああああああ〜〜〜〜
スッキリィィ〜〜〜!!
わしのアニメ事情
あのですね、Fate/stay nightと地獄少女二籠は両作品ともともまで見て見るのをやめました。両作品を見ていると完全に作品がBGM化してもう一つに集中できないなとなりました…。
それで、ブログを更新していない間は、「NHKにようこそ!」「甘々と稲妻」「甲鉄城のカバネリ」を見終わりました!
いや、もう「NHKにようこそ!」は見なくてよかった…。笑 結局、だめなままかい!わしのボキャブラリーではこれぐらいでしか表せませんー…とほ。
そして、「甲鉄城のカバネリ」は最高でしたね!!
1話でうっわ、やべぇ…と思いそのまま最終話まで見終わりました!まず2話まず題名の意味を理解し、なるほどぉー!!と興奮し、好感度がぐぅーんとあがり、それから「カバネ」にかかった者に噛まれるとカバネになり、とゾンビのような病から恐れを持てど立ち向かう主人公の生駒(いこま)の行動力にこっちがハラハラしてまさに、目が離せない!です。後まじで、ヒロインの無名(むめい)がカバネの集団に1人で突っ走った時はもう怖くてまともに画面を見れなかったですね。
その次に見た作品が「甘々と稲妻」です。
一気に平和な日常系アニメに変わりましたね。これまた見て良かったですー!!まず、1話で泣いちゃいました。つむぎが犬塚先生においしいぃ!って顔を見せた時に犬塚先生が泣きそうになって、それに釣られて…
あとですね、CLANNADafterstoryで智也と汐だけの世界線の時を思い出してつい涙がぁあ。
しかも犬塚先生のボイスがゆぅーきゃん!って…反則です。
甘々と稲妻はのんびりと3日かけて見終わりました。
それにしてもですね、作中にでてくる料理が美味しそうでみているとヨダレをなんど何度のみ込んだことか。それでですね、第9話がドライカレーを作る話でそれを見たのが今日の朝で、晩ご飯にドライカレー作っちゃいました!!アニメで使われた食材を完璧には再現できませんでしたが、美味しく食べました!!幸せですなぁ。
そんで、、最終話に名言を美味しく頂きました。
飯田恵「つむぎちゃんへの愛情を、たぁくさん込めて作ったからですよ」
つむぎ「それ(愛情)つむぎ、いっぱい食べてんだねぇ」ー甘々と稲妻12話
わしも今まで愛情をいっぱい食べてたんだ、と少し色々考えさせられましたね。甘々と稲妻は料理はもちろんだけど、料理してる時に歌って踊るつむぎちゃんの姿に可愛すぎてぎゅっと抱きしめたくなりました。笑
お後がよろしいようで。
どうしようもないくらい辛いと思ったら、ここにおいで。
どーもす!ちよみんです。
今、専門学校のAO特待生制度を利用して学費免除を狙って日々奮闘中です。試験の一つに「作文」があってお題は「将来の自分について」なんですが、将来のことをイメージして、自分に嘘をつかない人になりたいとか目の前にいる人から大切にする人になりたいとかが頭に浮かんでその次に浮かぶのが今までで一番辛かった時の思い出なんですね。勝手に思い出しちゃって、泣きそうになってました。笑
それで、今の自分がその時の自分に言葉を贈るならどうするかなっておもい書いてみました。
あちこちで義務なんてなんにもないって言うけど上手くいかないんだよね
自分で選んだはずの道がいつの間にか「やらなあかん」って自分の頭の中で義務化されてて。なんで頑張ってるんやろうとさえ思えてきて、全部自分の責任やのに、自分を、環境を変える勇気がなくて、弱音をのみこみ続けて、苦しくて。
それを環境のせいにしたり、親のせいにして、そんな自分が嫌いになっていった。もう無理だ、ダメだって自暴自棄になって。辛くて耐えれくなったら逃げても大丈夫だよ。我慢して頑張るくらいなら、逃げた方がいいよ。嘘をついてでもいい、気がすむまで逃げてひとりの時間をつくってみてほしい。
頑張れない自分を許せなかったよね
許せない時は許さなくていいよ。
全てをだれかのせいにする生き方をしてもいい。
我慢して、犠牲的な生き方をしてもいい。
社会は甘くない、人生は苦しいんだ、という生き方でもいい。
そんな生き方を選んでいい。
それと逆にね、
人生の素晴らしさを感じながらの生き方をしてもいい。
自由の素晴らしさを満喫しながらの生き方をしてもいい。
人の個性の素晴らしさを私自身のことのように大事に喜んだりするような生き方をしてもいい。
人の数だけ生き方があるってよく聞くよね。その通りだよ。 キレい事を並べようとは思っていないんだ。きれい事に従ってほしくないと思ってるよ。
苦しい時に何かを選ぼうとする前に
色んな生き方を知るのもいいけどね、
その前に、
1日ぼーっとする日を作ってさ、
明治おいしい牛乳をコップに注いで、
ゆっくりゆっくり飲んでさ、
部屋の中でいいからね、
優しい太陽のひかりを浴びて、
のんびりしてごらんよ。
平和な日常を味わってごらん。
そして自分と向き合う時が来たら、ゆっくり起きていることや向き合いたい過去や未来を一つずつ、じんわりと味わえたらいいね。
中途半端なままの自分が好きだ
なにかを達成できなかったとしても、挑戦したことに私は尊敬するよ。メンタルなんて弱くていいんだよ。それは自分に素直になりたいって体が言っているんだよ。だから、強くならなくていい。メンタル強い人は我慢強い人が多いけど、それは自分に素直じゃなくて、自分を傷つけているかもしれないよ。
「どんなときでも大丈夫」
何かあった時は、その後にいい事がある!と思えてくるよ。大丈夫だよ。大丈夫じゃなくてもいいんだよ。その時にしが味わえないことをちゃんと味わって次にいけばいい。時間がかかっていい。マイペースでいいんだからね。
わしのアニメ事情
Fate/Zeroはラスト…あぁ、衛宮切嗣(えみやきりつぐ)の望む世界が残酷な形になって現れ、言峰綺礼(ことみねきれい)がそれを愉快に思っている姿、バッドエンドにみせてラストに切嗣が瓦礫の中で小さな希望をみつけるシーンに、わしまで泣きそうになりました。小さな希望とは次の物語Fate/stay nightの主人公だったんですね。Fate/stay nightの1話を見て気づきました。
そして、ラストのエピローグでウェイバーが大戦略Tシャツを見つけた時は泣きました。いやぁ、ライダーー!!と心で叫び、ウェイバーが僕はあなたの家臣です。って言う時、私もイスカンダルの家臣です。と心で呟いてました。
今見ているアニメは、地獄少女二籠を2話、Fate/stay nightを4話、田中くんはいつもけだるげを11話、NHKにようこそ!はえーっと19話です。そしてドリフターズを見終わりました。ドリフターズ面白かったですね。話も爽快で一瞬でしたね。てか杉田さんのオカマキャラに笑いました。あと織田信長ってスゲぇと思いました。知識の豊富さと指揮官としてかっこいいな!と感心しました。
田中くんはいつもけだるげはOPがストライク!めっちゃ好きな雰囲気!!しかも、ほそやーーーん!!
ほそやんのボイスを聴いてあー万全に調子が戻ってから復帰してくれますように。できれば早く復帰してほしいなぁ、なんて思ってました。ほそやんといえばfree!もやけど、アルスラーン戦記のダリューンですね。むっちゃ、もうむっちゃくちゃかっこいいー!!! 知らない方は是非、アニメのアルスラーン戦記をご覧くださいませ。
お後がよろしいようで。
違和感を感じなかったら、進んでみたら?
どーもす!ちよみんです!
(夕日)
わしはやりたいことができて行きたい学校ができたので、それを親に伝えた。母はOKと答えてくれたが父は納得いかなかった。わしと父は会話が下手だから、納得してもらうことが目的の話し合いがただの喧嘩に。わしはどうしたらいいのかと悩んだ。そこでネットの出番だ。ネットで「親に進路 納得」と検索して色々な伝え方を読んだ中で親が反対する理由の共通点があった。
それは、「将来この子が幸せになるイメージがわかないから」だった。なるほど!と思いわしは口では伝えきれないから、手紙を書くことにした。伝えたいこと内容をできるだけ親がイメージしやすく考えながらA4の紙をちょうど20枚を使いきった。書きながら何度か、ほんとうにこの道でいいのか、これでいいのかと考えた。違和感を感じ無かったのと前に進みたい気持ちがわしの背中を押してくれた。
そして、今日父に手紙を渡すとすぐに読んでくれたみたいでさっそくメールがきた。
「ありがとう。書いてるの読んだよ。
ー省略ー
内容読んで納得したし、あとは頑張って」
ここまでの文を読むと、親や誰かに納得してもらわなかったらその夢は諦めていたのか、や誰かに納得してもらう人生しかお前は生きていけないのかっておもう人がいるかもしれないし、わしも何度も考えた。だけどね、それとこれとは違うなとおもう。わしはまだ一人暮らししてないし、独立していないんだ。だから、親に言う必要があった。それに今回は去年までの大学受験の時とは違って、諦めたくないって気持ちがずっとあったんだ。前に進みたいって思ったからかな。
夢を抱くと同時に怖くもなる。
大きな夢を思い描くほど、怖くなる。時々、夢だと思っているものに違和感を感じる時があるから。違和感を感じるとうまくいかなくなる。なら、他のやり方に修正すればいいだけの話だけどね。
けど、そんな時はいつも違和感に向き合うのがちょっと遅れて周りに迷惑かけたりする。大学受験の時は違和感に無視し続けていたから浪人して、船旅しようと思った時も違和感を感じてたら、 お金の問題がきっかけで一旦やめることにしたしね。
違和感を感じないことをしたら、どうか。
違和感を感じないもんって、直感でわかる時もあるし、後からわかる時もあるんだよね。でもね、違和感を感じる時って、気付かぬふりで方向転換が遅くなるだけで、結構はじめから分かってたりすることが多いんだ。
だから、「これだ!」って直感に従うのはもちろんいいけど、直感がイマイチよくわかんない時は、違和感を感じるかどうかで選んだらどうだろうか。修正が遅くなっても、自分が納得いってないままで進むより百倍マシだよ。
ようかい体操第1より行動第1を選ぶ。
(今日は七夕だから)
よく「これまでの行動、これからの行動でその人が決まる」って聞くけど、これっていいセリフだなって思う。時に背中を押してくれるし、人生1回きりだからちゃんと好きな道選ぶんだよ?って言ってくれてるみたい。
今年の3月から今まで、家でゴロゴロしてのんびりしての充分休めた。前に進みたいって思うようになった。自分の人生ってほんま、自分で決めれるもんなんだって思った。てか、今思ったけど人って行動ばっかりじゃん。ゴロゴロするのものんびりするのも行動したから、前に進もうと親と話し合うって行動をおこした。行動ばっかりや!行動バンザーイ!
わしのアニメ事情
Fate/Zeroが面白い…いやぁ、昔1回挑戦して4話ぐらいで無理やーって断念したが見返すと、
うっはーーー、
むっちゃオモシロイやん!!騎士の誇りとか、ランサーとセイバーのやりとりがもう好きやわ。それもすきやけど、ライダーがカッコええええ( ー̀дー́)وgoodまだまだま18話までしか見てないけど。ライダーのセリフ
王とはッ――
誰よりも鮮烈に生き、諸人を見せる姿を指す言葉!
すべての勇者の羨望を束ね、その道標として立つ者こそが、王。
故に――!
王は孤高にあらず。その偉志は、すべての臣民の志の総算たるが故に!ーライダー『Fate/Zero』
ライダーが固有結界の中で上のセリフを言い放った時は、ぞわぁーーって鳥肌がたちました。
地獄少女とNHKにようこそ!はね、うーんって感じです。地獄少女はちょっと進展したと思いきや、同じパターンが続くっていう…でもいいアニメってきくし、そのいいって思う瞬間が来るまで粘ってやりますよ!まだまだ21話!
NHKにようこそ!は17話まで見ました。相変わらず、ツッコミ要素があって飽きはしないけど、オススメするかなぁーと考えちゃいますね。今はそうだけど、最後までみてまた改めて報告しますね。
お後がよろしいようで。
あきらめるものを間違っていませんか。
どーもす!ちよみんです!
(アニメ「ノラガミ」より)
わし、あきらめ方を間違っていました。一つの道をあきらめただけやのに、それと同時に自分自身にもあきらめていました。それに気づかせてくれた本があのめちゃくちゃ有名なアレです。
夢をかなえるゾウ
内容
ダメダメな主人公の目の前に、突然現れた“ガネーシャ”。「自分、成功したいんやろ?」なぜか関西弁で話す、とてつもなく胡散臭い神様の教えは「靴をみがく」とか「コンビニで募金する」とか地味なものばかり、誰にでも一日単位でできる実践的な成功習慣が書かれています。
ガネーシャは真剣な声で言った。
「一つだけ、絶対にあきらめたらあかんことがある。」
「それは何ですか?」
「『自分』や。自分には何か才能がある、自分にしかできない仕事がある、そこのことに関してはあきらめたらあかん。見つかるまでそれを探し続けなあかん。自分自身に対してはあきらめたらあかん。」
ーガネーシャ「夢をかなえるゾウ」
わしはこの時、はっとしました。わし、『自分』にもあきらめていた…。うおおおおお
わし、まだ二十歳なってねぇーそばから諦めてるやん!爆笑
たかが2度の失敗がなんだ!
10回、100回、1000回失敗してやればいいんやった!
そんで、失敗集みたいなん作ればいいんや。あかん、絶対にめっちゃおもろいもんになるわ。
自分が『自分』を1番見捨てちゃだめ
「自分」以外の何かをあきらめることは全然イイんです。だって、少なからずソレと合わないと思ったんだからイイんです。でもね、ソレをあきらめたからと自分を責めまくって身も心も傷だらけになっても、「自分」をあきらめないでくださいね。わしは1度は自分にあきらめたけれど、それでも今まだこうしてちゃんと生きてますからね。生きてたらいくらでも立ち直れるみたいです。
それでも失敗は怖い。笑
はい、そうです。失敗は怖いです。失敗は最高!と思えるほど頑丈な心じゃないです。笑 だけど、失敗もイイもんだ、と思えるようになりました。フリーターになりたての頃、このブログを設立してちょっとたった頃ですね。バイトがない時は家でほとんどぼーっとする日々を送ってました。たまに外にでたりしましたが、なんだかずっと無気力状態でした。
そんな生活を 2ヶ月ほど続けると、何かしたくなるようになりました。なので、今では毎日違う道で散歩するようになったり、バイト先で知り合いに会うだけで嬉しくなったり。そう過ごしていくうちに、ふと、失敗も有難いものなんだとおもいました。
どっちに転んでも悪くない
何度、失敗してあきらめても「自分」だけはあきらめたらダメです。そう言われても無理なもんは無理!と思ったら一度「自分」にあきらめてしまえばいいんです。「自分」にあきらめても大丈夫だからです。そうなると変わりたいと思う時がくるかもしれないし、こないかもしれません。
でも変わりたいと思った時は誰かに打ち明けてみたり、わしのように本から救われたり、またわしのブログに足を運んで考えてみたりしてみてくださいね。自分の人生は自由だから、どう生きてもイイってもう聞き飽きるくらい言われてますね。
わしのアニメ事情
CLANNAD見終わったあとはkey作品をみようとAIRを見おわり、CLANNADのクオリティが高いおかげなのかAIRはちょっとうーんとなってしまった。めっちゃ昔に溯って話が繋がるから、話が無駄に壮大だな!と心でツッコミ入れた。いぇあしかし、まさかAIRはおのDの初主役だったのは…おのDボイス聴けただけで脳内幸せ畑だったぜ!「Kanon」をみようみよう思ってるけど、これは作品の背景が冬だから冬に見ようかなーって感じだな。
今は「地獄少女」と「NHKにようこそ!」と「Fate/Zero」の3作品を鑑賞中。地獄少女は最初の5話くらいまでは頑張ってみた。毎度同じパターンで飽きそうになったけど、涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトに比べたら…と耐えきったぜ。
NHKにようこそ!は、ツッコミ満載すぎてある意味つらい。笑笑 引きこもりのニートやのに、引きこもりをもうすぐに外に出て、まさか主人公が自分の後輩に彼女がいるのかを確かめに後輩の通う学校まで行っちゃうのはその行動に笑った。まだ13話まででこれから主人公がどうなっていくのかが楽しみだ。
Fate/Zeroはまだ5話までしかみてないけど、浪川さぁーーーん!浪川さんが役してるウェイバーが可愛い…怖がりのくせに勇気あって好きやわ。ウェイバーのサーヴァントの性格も好きや。声優がむっちゃ豪華で興奮したけど、それ以上に内容が既におもろいし好き!内容で好きやわって思った瞬間はアサシンが囮としてアーチャーに殺られていたことを知った時からだな。これからの話の展開がむっちゃ楽しみだ。
今見てる作品とかもそうだけど、アニメの流れに乗り遅れつつものんびりみているわしだった。
お後がよろしいようで。
「CLANNAD」の影響力がヤバい。※ネタバレ注意です。
どーもす!ちよみんです!
どうしても書きたいことがあってどーんと書いちゃおうと思います。最近わしが新しくはじめたわしのアニメ事情で「CLANNAD」を語るにはその枠では足りない!と思いました。
では、 そもそもCLANNADとは?と知らない方のために説明しましょう。
進学校に通う高校3年生の岡崎朋也は、無気力な毎日を送っている。毎日同じことの繰り返し。
周りのみんなのように学校生活を楽しむこともできず、毎日遅刻ばかり。
そのためか、校内では浮いた存在になっていた。ある日、朋也は学校まで続く坂道の下で、一人の少女と出会う。ー『CLANNAD』
ゲームが原作としてそれをアニメ化した作品。アニメは1期22話+OVA1話、2期(afterstory)22話+OVA1話となってます。CLANNADの物語の設定で、この世界には選択によって存在する「隠された世界(幻想世界とも)」がある事、それは平行世界として同じ軸の時間上において、見えないけれど確かに存在している事。わしは世界線と呼んでます。(わしゃ、STEINS;GATEに影響されています。笑)AFTER STORYで、ラストに世界線が変わった世界を見た時の感動は今まで味わったことがないものでした。
「CLANNAD」を6/28に見終わってから「だんご大家族」を半永遠にループ再生して聴いてます。
わしはこの曲を聴きながら街を散歩すると、いつもの景色がとても優しく、温かく感じられるんですね。道を歩く親子の姿に朋也と朋也の娘の汐(うしお)を思い出したり、大げさにきこえるけれど、全てが温かくて優しく感じるんですね。
こんな気持ちになったのもCLANNAD AFTER STORY の後半、渚が出産後に衰弱して死にそれを受け入れられず朋也は5年間もの間、汐を渚の両親に任せっきりでした。ある日、朋也は渚の母ともえさんに旅行に行こうと誘われ次の日に渚の実家に行くとそこには汐しかいませんでした。結局、2人で旅行に行くことになり、旅行先で朋也は自分の父の母(おばあちゃん)に出会いました。そこで父の愛を知り、今度は自分が汐とちゃんと向き合い愛し守っていこう、と。
渚、見つけたよ。やっと、見つけたんだ。俺にしか守れないもの。俺にしか守れないかけがえの無いもの。ー岡崎朋也 『CLANNAD afterstory』
もしかすると、いや、もしかしなくてもこれまで見たアニメの中で1番泣いた作品です。1期の時から何度も泣かされましたし(笑)、AFTER STORY では後半特に毎回もう涙が溢れて止まらないんですね。三度見て三度泣く作品ですね。
そして、ラスト…朋也ずっと後悔していました。渚と汐を失ってしまった、自分が渚と出会わなければ死なずに済んだ、のだと。この後、朋也は幻想世界に意識が飛び、後悔している思いを打ち切って渚の出産の時に飛び光の力で渚が死ぬ世界線を回避しました。回避した後に朋也がいる世界、
それは…渚も汐も生きている世界でした。
渚の両親と朋也の繋がり、渚と朋也の繋がり、朋也と父との繋がり、汐との繋がり、人と人との繋がりの大切さを改めて気づかせてくれました。そして親から子への想い、子から親への想い、それぞれの想いが素敵なかたちで伝わっていく人生の一部をCLANNADを通してまなびました。CLANNADは1期のはじめでくじけた人が多いみたいです。わしもそうでした。けど、それを乗り越えると、とても大切なことを改めて感じたり学べました。
ほんっとにこの作品と出会えて良かったです。
お後がよろしいようで。
「ただでもらう」は当たり前なんだ。
どーもす!ちよみんです!
「ただ」は身の回りに溢れている
「ただより高いものはない」とよくいうけど、それは本当でしょうか?でも、ことわざにあるほどでしょうから、そうなのかもしれないです。けどね、わしは「ただ」は身の回りに溢れていると思うんです。
わしで例えるなら、ただで
ご飯奢ってもらう。
メガネよくふいてくれる。
メイクしてもらう。
髪の毛きってもらう。
ただで外にでる。
ただで散歩する。
太陽の光を浴びる。
ただでブログで自分を発信してる。
スーパーにただで入る。
百貨店に売ってある健康グッズのお試しをただでやる。
バイト先でパンもらう。
バイト先で余ったエコバックもらう。
昨日も、バイト先で私がタイムカードの磁気が弱くて磁気の調節申請みたいなのをわしでも書けるのに、「ただ」で先輩が書いてくれたり。
「ただ」ってほんと小さいことでいいんです。
小さい「ただ」がみなさんの回りにもあると思います。当たり前のように「ただ」はわしらの周りで行われ続けています。
お金は親友だと気づく。
お金が存在するおかげで、私達つまり、わしらは「ただ」が素敵なもんだと気づけます。お金が存在するから、「ただ」がうまれました。お金は«何か»をするための手段だけど、お金に夢中になりがちなのは、お金は親友だから。親友は血の繋がってないだけの家族ですね。けど、お金に夢中になりすぎると、お金の奴隷になってるとか嫌な言われ方がありますよね。自由が一番と言われているご時世、お金の奴隷になるのも、お金と親友になるのもあなたの自由ですよね。
「夢をかなえるゾウ」
わしが今回の記事を作るきっかけになった本です。
色んなブログでも紹介されていたのでとても気になって手に入れたぜ!まだ途中までしか読んでませんが、教え(課題)の一つに「ただでもらう」があります。この課題をやった後の主人公は「ただでもらう」は難しかった、と言いました。その時、わしは誰かに「ただでもらう」が当たり前と思う自分がいたのに気づきました。なぜ、当たり前と思うのかをもう少し掘り下げてみると、わしの周りにゃ「ただ」で溢れていたからです。そう思った時、なんだか鳥肌が立ちました。
わしは、「自分が思っている以上にすごくもらい上手なのかもしれぬ!(💪(^q^💪)うほっ)」
物事の捉え方次第ですよね。太陽の光をただで受け取るとかそうです。笑 「ただ」って自由とすごく密接してる気がします。誰かに何かを与えるのはその人の「自由」で、それを受け取る人も「ただ」で受け取ったり、断ったりしますよね。お金が存在する限り「ただ」も存在します。
なので、わしはこれからも、笑顔で溢れる「ただ」を素直に受け取り、与えていきますね。
わしのアニメ事情
CLANNAD afterstory17話まで見たぜよ。
15話で朋也と渚が来年の夏に3人で海にいこう、って約束してる時になんで渚の死亡フラグみたいな雰囲気だしてるんだよ。めっちゃわしまで不安なるやん。
そして16話、渚の陣痛が始まって苦しんでる姿に朋也が意識が遠のきそうなシーンでわしもはやく終われぇええええと思っていたら、赤ちゃんの泣き声がして朋也が汐(赤ちゃん)を抱き上げた時、やっどぉー産んだんだぁあああ、涙がでてきて、でもその後がもう涙が止まらなかった。
CLANNADの作者さんはひどい。わしを泣かして泣かしてどれだけ泣けばいいんだ。泣きたくなくても泣いてしまうんだ。その後の朋也と汐(うしお)が気になってすぐさま17話をみると、朋也は育児放棄…渚の両親がかわりに汐の面倒をみていた…
しかしだなぁ、5歳になった汐ちゃん、、、か、可愛すぎるぅうううううううううファーーーーー(///_///)
渚の面影バンバン残してるじゃねぇーかーーー可愛いいいい( ー̀дー́)وgood
お後がよろしいようで。
「すいません」のバリアを砕こう。
どーもす!ちよみんです!
(滋賀県にて1枚パシャリ)
バイトでレジしていると、むっちゃ耳にする言葉
「すいません」
それも客さんから。
お金を出す時に「すいません」
お箸を渡したら、「すいません」
重いかいものカゴを運んでやると「すいません」
悪いことなにもしてないのに、ありがとう的なニュアンスで使っているのかもしれないけれど、それなら「ありがとう」をいう方がわしゃ好きだ。
ふと「すいません」ってわしらを「最悪」から逃がすヒーローみたいな言葉だとおもった。悪いことをした時にすぐ「すいません」を言うと、それが本心でなくても軽く怒ったり怒られたら済むし、ありがとうの代わりで使われることもあるし、「実は…」と自分の考えを隠す言葉でもある。
むやみやたらに使うことないとおもう。
なんだかね、やらたと「すいません」って言っちゃうと人にマイ人生を委ねるみたいで、 「すいません」に甘えちゃいけないんだとおもう。だから、自分や後輩がミスした時、とにかく自分が関係してる何かをミスした時以外は使わないようにしたらどうだろう。
これからは、ミスした時以外で使う「すいません」に隠れた自分の気持ち、考えをちゃんと伝えてみてはどうだろう。その時、その瞬間に思ったことや気持ちは時間が経つにつれて薄くなって消えていくのだから、躊躇わずに気持ちを伝える発射ボタン押してしまおう。
やたらと「すいません」を言う、から卒業を。
「すいません」が口癖の人は、どんな時使っていたかをメモしていき、なぜこの場面で使ったのかをじっくり考える。そしたら、どうして癖になるまで使うようになったのかを考える。癖は体に染みついちゃってるから治すのは難しいけど、癖を変えるのはどうだろう。 すいませんよりも万能な言葉があるぜい。それは、「ありがとう」。いう側もいわれる側も嬉しくなるまさに魔法の言葉。
ありがとうの溢れる環境をつくる第1歩記念に、
わしのブログ(公園)に目を通してくれてるみなさん、
ありがたやーありがたやー。w
ありがとうって言ったり言われたりするのって照れるけど、いいよねぇ〜。
改めまして、わしの「ちよみん公園」にきてくださるみなさん!
ありがとうございます。
これからもどうぞ末永くよろしゅーございます。
«新企画»
わしのアニメ事情
ここでは、今見ているアニメについてひたすら感情に身を任せ書いていく、企画(笑)です。
では、早速。
ーー三年前。
友達がアニメ「CLANNAD」がほんまに素晴らしいんよって薦めてきて1話の途中で寝落ち…これは見れないパターンだと思い諦めた。
そして、月日が経ち現在…CLANNADにどハマりしてしまった。話のオチが感動的すぎて毎回号泣。
今では、エンディングテーマの「だんご大家族」を聞くだけで涙が止まらなくなるほど中毒になってしまったようだ。
記憶の新しいafterstory9話の岡崎が渚にプロポーズした時は支え合うとはこういう事なんだなぁ…とおもい、12話の岡崎が雨の中、渚の父に頭を下げた後に渚の母「なぎさは私たちの夢です。そして今日からは朋也さんも私たちの夢です。二人の幸せが私たちの夢なんです、だから幸せになってくださいね。」の言葉に、わしも2人がどんな境遇に立たされても幸せになってほしい。と思い、泣いた。
泣いても泣いても涙が枯れない。
ほんまに、素晴らしい。切なすぎる。
まだ、2期のafterstoryの13話までしか見ていないから続きがはやく見たい…。
お後がよろしいようで。